新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染者が増加の一途をたどり、国内の感染者数は9000人を超えた。対応する医療機関の切迫した状況を報じるメディアも増え、マスクだけではなく感染防護に必要な様々な資材が不足し、院内感染を防ぐことが困難な状況も明らかとなっている。
医療崩壊すれば、感染爆発(オーバーシュート)する、すなわち感染者も死者も急増するという切迫した状況に置かれ、政府は緊急事態宣言を全国に拡大するなど、状況は日々悪化している。
国民は長引く自粛生活によるストレスや経済不安など、COVID-19への感染の恐怖に加え様々なストレスに晒されており、1日も早い状況の改善を望み、とりわけ治療薬やワクチンの開発に大きな期待を寄せている。
既存の様々な医薬品がCOVID-19に効くのではないか、という情報が飛び交い、BCGワクチンが有効では無いかという情報が広まるや否や、成人がBCG接種に飛びつきワクチンの注文数が3倍になり、乳幼児の接種への影響が生じかねないとして専門家が警鐘を鳴らすような事態も生じている。
そんな中、直近で最も関心を集め期待されているのが、「アビガン」だ。
アビガンは富士フィルム富山化学株式会社が製造する抗インフルエンザ薬で、日本での国内承認もされている医薬品である。作用機序的にも効果を説明できるとして注目され、臨床投与された患者に奏功したという報告も複数上がっている。現在は治験を行なっている状況だが、「1日も早くアビガンを」という声が一部の医師からもあがっている。
SNSでは、PCR検査の対象を拡大して、早期に診断しアビガンを投与すべき、という意見も数多く見られ、安倍首相も備蓄量を現在の3倍の200万人分に増やし多くの患者に使用を拡大すること、他国にも積極的に提供していくことなどを表明している。まさに世間は、「1日も早くアビガンを!」「一人でも多くにアビガンを!」という空気に包まれ始めている。
しかし、アビガンの投与は慎重であるべきとの意見を持つ専門家も多い。というのも、アビガンは動物実験の段階で催奇性が報告されており、また精子にも影響があることが確認されているからだ。
薬剤は期待される効能・効果としての主作用だけではなく、望まない、期待されない効果としての副作用を伴うもの。そのため、主作用を期待しつつ副作用を避けるために、医薬品ごとに投与すべき対象が定められ、注意すべき副作用や重要な事項、禁忌などが事細かに定められている。
アビガンはその添付文書において、妊娠する可能性のある婦人への投与やパートナーへの投与などについて、「警告」が明記されており、また富山化学自身がホームページで「他の抗インフルエンザウイルス薬が無効又は効果不十分な新型又は再興型インフルエンザウイルス感染症が発生し、本剤を当該インフルエンザウイルスへの対策に使用すると国が判断した場合にのみ、患者への投与が検討される医薬品である」こと、使用に際しては、「国が示す当該インフルエンザウイルスへの対策の情報を含め、最新の情報を随時参照し、適切な患者に対して使用する」こと、「新型又は再興型インフルエンザウイルス感染症に対する本剤の投与経験はない」こと、「添付文書中の副作用、臨床成績等の情報については、承認用法及び用量より低用量で実施した国内臨床試験に加え海外での臨床成績に基づき記載している」ことを明記している。
つまり、他の抗インフルエンザ薬では効果が不十分な時に、様々な最新情報を随時参照しながら患者を厳選し使用すべき薬剤であり、実際に投与した実績は無く、添付文書に記載している副作用などは臨床で使用するよりも低用量で生じたものである、ということである。
これだけを読んでも、気軽に誰にでも投与できる薬剤では無いことは明らかだ。
アビガンへの期待が高かまる様子は、ある薬剤のケースを思い出させる。それは「イレッサ」である。
イレッサは当時「夢の新薬」としてメディアでもてはやされ、医療関係者や患者から承認・発売を待ち望まれていたものであった。しかし、臨床試験の段階で重篤な副作用が生じることが確認されており、承認・発売に際しては添付文書にその危険性を十分に記載するとともに、専門家の中でも使用は慎重に開始することが確認されていた。
だが、実際に発売されたところ、こうした情報を軽視し、気軽に投与するケースが生じてしまった。そのため、本来であれば投与すべき対象では無い患者に投与されたり、既に危険性が指摘されていた副作用を生じさせてしまったりする結果となり、少なく無い患者が間質性肺炎などにより命を失うこととなった。
「薬害イレッサ」と呼ばれるこの出来事は、原告が国や製薬企業の責任を問う訴訟を起こし原告敗訴となったのだが、「注意喚起を行なっていた国や製薬企業ではなく、そうした情報から外れた投与をした医師を訴訟対象としていれば結果は違ったのでは無いか」という声も聞かれる。つまり、訴訟は負けたが、薬害という事実が否定されたのではなく、薬害の責任を問うべき相手が違った、ということである。
アビガンを求める意見の多くは、非専門家や非専門医から多く聞かれている。一方、国内承認薬として他に例を見ない「承認はしたが臨床投与経験はゼロ」という事実とその理由を合わせて説明している意見は殆ど見られない。
これは目の前にあるCOVID-19の恐怖から逃れたいあまり、自分のみたい情報、つまりアビガンの効果の面だけに目を奪われ、見たく無い負の面、副作用などについては目を塞いでいる状況に陥っていることが推察される。
アビガンは患者の手元に何日間か分を処方して服用させるような使用法は馴染まず、指定医療機関で入院患者に対し都度服用させるような管理を必要とする薬剤ではないか。安易に患者の手元に渡ってしまえば、「COVID-19かも」という不安から、「アビガンあるよ」と譲り受け服用してしまう、そんな可能性は今の状況を考えれば十分に予想されるものだ。
入院患者に対しても、重症例ではなく比較的軽症の患者に対し奏功していることが報告されていることを鑑みると、高齢者ではなく若年者への投与が多くなると思われるが、この世代は妊娠可能な年齢層とかなり重複する。妊娠の有無の確認、投与後の性行為への注意などが徹底されなければならない。
「1日も早く」「軽症者に広く」という声と、感染症病床や指定病床以外の医療機関での軽症患者の受け入れという機能分化が進められる現状は、慎重に投与すべき「アビガン」との相性が極めて悪い。
今一度、政府と専門家たちは、「アビガン」という薬剤への社会の過度な期待を落ち着かせるためにしっかりと情報発信すべきだし、国民もその負の面にもしっかりと目を向けるべきであろう。
(KEY CHEESE 編集部)